あけましておめでとうございます。
卓球からかなりかけ離れ、外科医生活に邁進しておりました。
卓球をしたい気持ちは強いものですが、他のことよりまず卓球とはなかなかならないモチベーション。
大会でもあればやりたくはなるんでしょうが、今は目の前のことに取り組むことの方が大事なように思うこの頃です。
最近色んな手術を覚えてきて、それなりに勉強できているなと思うところですが、自分のラーニングカーブと比較して後輩の覚えが悪いと思ったとき、術中の所作や取り組む姿勢でいささか疑問を感じてしまうことがあります。
たとえ医者だからといってみんな手が器用なわけじゃないし、覚えがいいわけじゃない。
デスクワークができるわけでもないし、頭の回転が速いわけでもない。
ただ試験の勉強ができただけ、そう思うことが多々あります。
ただ別にこの経験が初めてというわけではなく、卓球を医学部の後輩に教えていた時にもまま感じていたこと。
なぜラーニングカーブに差がつくのか、という問いに対しても卓球をしていたころを思い出せば説明がつくのではないかと、考えてみました。
同期Aの場合
高校時代は県大会ですぐ負けるレベル。しかし最後には全国に出たことがある選手に完勝したり、県上位に食い込むレベルの選手に競り勝ったり。
なぜそこまで強くなったか(そこまで勝てるとは入学時は全く想像がつかなかったが・・・)
シンプルに好きが勝っていたというのもあるとは思うが、取り組む姿勢が前のめりで好奇心旺盛。
何事もまず頑張ってやってみるし、物事に首を突っ込みがちな姿勢。
思いついたら試行錯誤に加え必ずアセスメントを加えた上で次につなげていた。
何か問題点があったら必ず解決するまで粘る、そして次は出来るようになるよう努力する。
これは強くなるに違いないですよ。
後輩Bの場合
最初はゲロ弱かった。しかし、ひたすら練習をさせ続けながら理論を吹き込み続けた結果、まがいなりにも自分で物事をアセスメントし、しっかり意見を持てるようになった。
そこから次の過程に進むかどうかの話だが、目の前にある問題点に全てぶつかって考えることをやめなければ強くなれるところまで、強くなれる力を得ていた。
外科をしている上で、考え方の基本は卓球での強くなり方で、手術における技術は手技と理解の二つ。
基本手技は練習するしかないので、5年目の今(というか実際外科研修初めて1年といっても過言ではないからだが・・・)でもなるだけ早く針糸を持針器を使って持ち替えられるように練習するし、その日イマイチだったことは必ずその日のうちに練習する
解剖理解が分からなかったけれど、術中に教えてもらったことがあるならばノートなりに手術記録に記載するし、必ずそのイラストを手術記録にタブレットを用いて記載する。なるだけ自分がみた構造物をアピールできるように多層にレイヤーを用いて書くだけで自分の意識が変わったからだ。そしてのちに文献的に確認すればその知識理解はたとえ忘れても再現可能なものになる。
これを卓球で言えば入らない技術があればまずは理解を深める。解剖学的・物理学的正解を探したうえでプロの動画で確認する。そして入るまで、安定するまで多球をする。その後にゲームで実践し、パターン練習でハメられるようにする。
結局は卓球のような考え方、練習の仕方を常に手術でも、なんなら普段の診療でもまま意識している。
そうすると何事も上達する手順が一緒になり、更に飛躍していえば、物事の強くなる方法はその人間の姿勢やそれまで生きてきた哲学に依存する。
一言で強くなるために必要なことは何かといえば、「どれだけ強くなりたいか」と気持ちの側面でしかない。
物事を自分で、それもうまく出来るようになりたいから学びたくもなるし、それで嫌な問題と直面してもまず頑張ろうとする、というか頑張ってしまう。
自己研鑽の面白さ、知的好奇心のインフレを一度知ってしまい、ドパミンドパドパを感じたことがあるのならそれは最後。気付けば自然と強くなってしまうような、強くなるための哲学で生きるようになる。
勿論強くなるというのは程度こそ人それぞれ、環境因子に依存してしまう側面が強いのも言うまでもない。
しかし、今の自分に満足できずにもっと強くなりたいと思い続けることが出来るかどうかが、卓球に限らず万物において強くなれるかどうかに直結するように思う。
手術や診療をしていて、終わった際に「もっとできたのに」と思うのか、「終わってほっとした」と思うのかでその一例の価値が全く持って異なってくる。
今の自分であれば、手術を1例するハードルが高すぎた大学研修の2年があったからこそ、なんてことない1例の中でも人より5倍は学んでやろうと頑張ろうとする。
もし今卓球で大会に出ようと練習するのなら、時間が無さすぎるから練習の密度をより濃いものにしようとめちゃめちゃ考える。
こうした一瞬一瞬を大事出来るかどうか、いや、大事だと「思える」かどうかが、その人が強くなれるかどうかにかかってくるし、気持ちが強いというのはその時点で強者になれる素質があるんじゃないかと思うこの頃である。
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