※1 以前も情報の順序みたいなネタで何度も書いているネタですが、今日病院で似たようなイベントがあったので再び書いてみます。
※2 当ブログのアドレスが変わりました。お金が入ったので独自ドメイン取得してみました。1円でした笑
新URL: http://barusamikosunooisisa.net/
綴りが違うのはご愛嬌
――――――――――――――――――――
(以下本文)
ついさっきAMIの患者さんからこう聞かれました
「くるみは心血管系の年齢を若くすると試してガッテンで聞きました。やっぱり食べた方がいいんでしょうか」
私としてはそんなん聞かれると
「知らねーーー」
というのも論文レベルで出ていて仮に正しいものだとしても、食べたからといってよくなるわけではないからです。
医者から処方されるお薬もいくら作用機序が明らかで、有効であるエビデンスに裏打ちされているとしてもその薬剤を飲めば治るわけではありません。
多くは、薬を飲んで、しっかりとした栄養管理の元で十分な休息を得られた状態ならば有効であることが統計学的に多いと証明されているものです。
それ故にいくらくるみが良いからと言って、これまでの食事にプラスすれば予防できるかといったらそうとは限りません。
いくらなんちゃらコレステロールをなんちゃらして、なんちゃら酸が~といっても、もともと大酒のみでつまみで焼き肉を食べまくり、ストレスの多い生活を送って、気付けば煙草を、なんて暮らしをしている人がくるみを食べて心血管系がぴんぴんしているのであれば、それは虫が良すぎますよね。
健康に配慮している人が、よりよいものを摂取しようと求めて続けた結果くるみに行きつき、そのくるみの分のカロリーや栄養をどこかで引いていたりすれば有効であると。
ためしてがってんでそこまで細かく考察しているわけはありませんから、勘違いされる方も多いものです。
看護師さんからも今日聞かれたのも似たようなこと。
「何で1日尿量の指示を出したんですか?理由を知りたいんですけど」
私が受け持ちだった、重度の不整脈、それも心臓が止まるほど。(complete AV block +SSS+AFで、一時ペーシング済。30秒ほどarrestみたいな波形もあり失神で来院。わかる人だけわかってください。。)
循環動態が危うかった人なため、医者としては全身の循環状態を知りたく、1日尿量を見たい。
ただ、その人はフォーレが入っていない為に図るためにはいちいち看護師さんが頑張らなければならない。
出来るならそうした面倒なことをしたくない、ということで自分たちがしなければいけない納得できる理由を教えろ、とのこと。
一発でわかるように、「心停止した」、とキラーワードをブチ込み、納得してはもらったものの、一般に考えるなら循環動態の指標としては尿量は急性期にはすごく大事なものだから、基礎知識として持っていれば急性期の時点で図りたくなるはず。
どうも、この辺の知識が無いために質問を受けたようで。
フォーレを入れないということは歩ける→それ故に深刻な状態ではない、という誤った認識からくるもののようですね。
より総論的な知識、全体的な考え方が出来ないと局所的なところに目が行きがちで、理解しきれないことというのは多々あります。
これは職種間でもよくあり、医者と理学療法士間でも揉める材料にもなりえます。
メディアなんかでもよくこうしたレトリックに近い表現技法で我々にインパクトあることを教えようとしてきます。
つまりは「局所的に重要に見えること」のみを強調して。
最近指導動画でもネタ切れ閉塞感からか、無理やり局所的に見て重要なことのように見せる傾向があり私も悲しいところです。。。。
バックドライブで肩甲骨と肩関節のどちらが大事か、なんて議論をする時も運動全体として自然に見るのか、それとも局所の効果で見るのかで、どちらが大事かなんて大きく変わってきます。
過去記事で王ダサ治さんとも議論しましたが、肩甲骨が大事なのはそうですが肩甲骨を議論する前に、打球する際に一番大事な運動を理解出来ていないと論理が破綻してしまいます。
肩甲骨の運動ばかり目が行きがちな肩甲骨打法なんて甘い響きに惑わされて、上達の幅少ない変なフォームをしている人も多々みられますし。
肩甲骨打法を推している指導者がいかに素晴らしいフォームであったとしても、その人がしているフォームで最も大事なのが肩甲骨の運動であるとは限らない、という考え方を読者さんは持っているでしょうか?
自分のフォーム全体の中で最も重要だと感じる運動に、アドバイスなどで新しく加えられた運動は果たしてマッチしているでしょうか?
今やインフォームドコンセントをし、自らの治療法を患者自らで決定することが常識となっている時代です。といっても、同意書ばかりで実際に決めることは出来ていないと思われる方も多いかもしれませんが、もし自らに豊富な知識があり、選ぶ力がある人ならば、自己決定をすることができるはずです。
卓球を上達する為の情報を得るということは、ただ享受するということではありません。
その情報の信憑性を、局所的ないしは全体的に評価しながら、自分の持つ卓球の知識との整合性を見ていかなければなりません。
その為にも卓球の知識を増やすということを日々忘れてはなりません。
ただ、その知識が中途半端な眉唾なものであっては意味がありません。得た知識をより自らで考察して深めていく必要性があるでしょう。
考え方を例えて言ってみれば、
AとBと運動があり、そのどちらもよりよい動きに重要と考える。この時、Aを無くしたら目的の運動がなされず、Bを無くしても目的とした運動がなされる。
この時、Bという運動はA、もしくは目的とした運動を補助的に助ける可能性が高い。
一方Aという運動をより意識して、あるいは深く考えるようにした方が目的とした運動を効率化することができる可能性が高い。
以上から、Aという運動の方が重要と考える。
みたいな。(賛否両論があると思いますが)
・・・といっても全くの知識の無い状態からそれをするというのは難しいですよね。
解剖学と物理学からのアプローチは、理にかなっていると思うのですが・・・勉強難しいですよね。
結局国語やコミュ力が大事なんですかね、としょうもないいつもの結論に落ち着いてしまいます。
PS
そろそろ股関節の考察をしようかと思います・・・
※2 当ブログのアドレスが変わりました。お金が入ったので独自ドメイン取得してみました。1円でした笑
新URL: http://barusamikosunooisisa.net/
綴りが違うのはご愛嬌
――――――――――――――――――――
(以下本文)
ついさっきAMIの患者さんからこう聞かれました
「くるみは心血管系の年齢を若くすると試してガッテンで聞きました。やっぱり食べた方がいいんでしょうか」
私としてはそんなん聞かれると
「知らねーーー」
というのも論文レベルで出ていて仮に正しいものだとしても、食べたからといってよくなるわけではないからです。
医者から処方されるお薬もいくら作用機序が明らかで、有効であるエビデンスに裏打ちされているとしてもその薬剤を飲めば治るわけではありません。
多くは、薬を飲んで、しっかりとした栄養管理の元で十分な休息を得られた状態ならば有効であることが統計学的に多いと証明されているものです。
それ故にいくらくるみが良いからと言って、これまでの食事にプラスすれば予防できるかといったらそうとは限りません。
いくらなんちゃらコレステロールをなんちゃらして、なんちゃら酸が~といっても、もともと大酒のみでつまみで焼き肉を食べまくり、ストレスの多い生活を送って、気付けば煙草を、なんて暮らしをしている人がくるみを食べて心血管系がぴんぴんしているのであれば、それは虫が良すぎますよね。
健康に配慮している人が、よりよいものを摂取しようと求めて続けた結果くるみに行きつき、そのくるみの分のカロリーや栄養をどこかで引いていたりすれば有効であると。
ためしてがってんでそこまで細かく考察しているわけはありませんから、勘違いされる方も多いものです。
看護師さんからも今日聞かれたのも似たようなこと。
「何で1日尿量の指示を出したんですか?理由を知りたいんですけど」
私が受け持ちだった、重度の不整脈、それも心臓が止まるほど。(complete AV block +SSS+AFで、一時ペーシング済。30秒ほどarrestみたいな波形もあり失神で来院。わかる人だけわかってください。。)
循環動態が危うかった人なため、医者としては全身の循環状態を知りたく、1日尿量を見たい。
ただ、その人はフォーレが入っていない為に図るためにはいちいち看護師さんが頑張らなければならない。
出来るならそうした面倒なことをしたくない、ということで自分たちがしなければいけない納得できる理由を教えろ、とのこと。
一発でわかるように、「心停止した」、とキラーワードをブチ込み、納得してはもらったものの、一般に考えるなら循環動態の指標としては尿量は急性期にはすごく大事なものだから、基礎知識として持っていれば急性期の時点で図りたくなるはず。
どうも、この辺の知識が無いために質問を受けたようで。
フォーレを入れないということは歩ける→それ故に深刻な状態ではない、という誤った認識からくるもののようですね。
より総論的な知識、全体的な考え方が出来ないと局所的なところに目が行きがちで、理解しきれないことというのは多々あります。
これは職種間でもよくあり、医者と理学療法士間でも揉める材料にもなりえます。
メディアなんかでもよくこうしたレトリックに近い表現技法で我々にインパクトあることを教えようとしてきます。
つまりは「局所的に重要に見えること」のみを強調して。
最近指導動画でもネタ切れ閉塞感からか、無理やり局所的に見て重要なことのように見せる傾向があり私も悲しいところです。。。。
バックドライブで肩甲骨と肩関節のどちらが大事か、なんて議論をする時も運動全体として自然に見るのか、それとも局所の効果で見るのかで、どちらが大事かなんて大きく変わってきます。
過去記事で王ダサ治さんとも議論しましたが、肩甲骨が大事なのはそうですが肩甲骨を議論する前に、打球する際に一番大事な運動を理解出来ていないと論理が破綻してしまいます。
肩甲骨の運動ばかり目が行きがちな肩甲骨打法なんて甘い響きに惑わされて、上達の幅少ない変なフォームをしている人も多々みられますし。
肩甲骨打法を推している指導者がいかに素晴らしいフォームであったとしても、その人がしているフォームで最も大事なのが肩甲骨の運動であるとは限らない、という考え方を読者さんは持っているでしょうか?
自分のフォーム全体の中で最も重要だと感じる運動に、アドバイスなどで新しく加えられた運動は果たしてマッチしているでしょうか?
今やインフォームドコンセントをし、自らの治療法を患者自らで決定することが常識となっている時代です。といっても、同意書ばかりで実際に決めることは出来ていないと思われる方も多いかもしれませんが、もし自らに豊富な知識があり、選ぶ力がある人ならば、自己決定をすることができるはずです。
卓球を上達する為の情報を得るということは、ただ享受するということではありません。
その情報の信憑性を、局所的ないしは全体的に評価しながら、自分の持つ卓球の知識との整合性を見ていかなければなりません。
その為にも卓球の知識を増やすということを日々忘れてはなりません。
ただ、その知識が中途半端な眉唾なものであっては意味がありません。得た知識をより自らで考察して深めていく必要性があるでしょう。
考え方を例えて言ってみれば、
AとBと運動があり、そのどちらもよりよい動きに重要と考える。この時、Aを無くしたら目的の運動がなされず、Bを無くしても目的とした運動がなされる。
この時、Bという運動はA、もしくは目的とした運動を補助的に助ける可能性が高い。
一方Aという運動をより意識して、あるいは深く考えるようにした方が目的とした運動を効率化することができる可能性が高い。
以上から、Aという運動の方が重要と考える。
みたいな。(賛否両論があると思いますが)
・・・といっても全くの知識の無い状態からそれをするというのは難しいですよね。
解剖学と物理学からのアプローチは、理にかなっていると思うのですが・・・勉強難しいですよね。
結局国語やコミュ力が大事なんですかね、としょうもないいつもの結論に落ち着いてしまいます。
PS
そろそろ股関節の考察をしようかと思います・・・
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