技術系の記事がメインの氏のブログであるが、それもどうやら一通り考察をし終えてマイナーチェンジが多い印象を感じていた今日この頃。
突如切れ味抜群の記事を挙げられたので紹介したい。
私の卓球史――黎明期から近代前夜まで
この記事が上がった時、勉強真っ最中ながら、BGMに聞いてた玲二先生のクロニクル的考え方にとてつもなくハマっていた私。
玲二先生みたいな考え方をしようと思う人がまさかいつも見ているブログにいるとは、、と感動したもの。
一見して自分のことをただ垂れ流しているだけ、と思われる方がいるかもしれないが、そう感じたあなたにいいたい。
自分のことすらよく知らないにわかは、相手にならんよ。
随分な物言いだな、と思われるかもしれませんが、そもそもこう問いたい。
「物事を学ぶ上で必ず必要なことは何か」
こう問われた際、もししろの氏のようなクロニクルの中で自らを振り返ることをバカバカしいと思った人であれば、大方「新しいものを知ること」が必要だと思うのではないだろうか。
無論それも正しい。
だが、そうした考え方の人間が現代にあまりに多く、それが故に情報化社会に忙殺されていることに気付けていないのが現状だ、と知っていますか。
当ブログの方針である「情報を鵜呑みにせず、一度自分のフィルターを介して解釈したことを読者さんに提示する」スタイルが合っている方であれば、何となく言いたいことが伝わるかと思います。
鵜呑みにできる情報は、その情報の提供者がこれでもかと突き詰めたものか、明らかな自明なものに限るでしょう。
日本に古くから伝わる「温故知新」という言葉。
この言葉の意味をあなたはどう捉えるか。
古いことを知って新しいことを知ること、なんてふわっとした理解なら、まずはこの動画を見て欲しい。
1行でまとめるなら
・オリジナルの始まりはsurveyをしてから。
知って、解釈して、クリエイティブな活動をする
これこそが温故知新の意味するところだろう。研究者たる落合氏の勉強の仕方はそうしたニュアンス。
さて、この動画から思うのは、情報に溢れたこの時代でオリジナル等作れないと思う人が多い。
加えて受け手のリテラシーがどうなんだ?と疑問に思うことが多く、情報を正しく評価できる人間もかなり少ない。(この辺に言及した記事を今後あげるつもり。)
こと卓球関連の動画やブログにしたって、一連の流れをsurveyしてから出してる人って少ないんですよ。それ故に考察まで至ることが少なく、あくまで調べました!どや!感想いぇーい!で終わることの方が多い。
それって何の意味があるのだろうか。真に自分のものになっているの?せめて調べたのなら何か新たな物事を付け加えないと、批評を入れないと本当にただの感想で終わってしまう。
自らの理解を進めるアウトプットの機会を、わざわざ表現する機会があるのに失ってしまっている。これってもったいないですよね。
私みたいに非営利でアウトプットする機会を求めてブログをやっているのならば、別に人気取りに走る必要もないわけで。表現して自分が成長できるなら、成長できる道を選んだ方がいい。
一方営利目的がある、様々な卓球の指導動画ならばある種「寄せて」いてもしょうがないとは思う。
生活が懸かっているわけだし。
しかしてそのせいもあってか、最近どの動画をみても新鮮味がないし、その動画が主張するところに新しい発見もない。
結局はただ寄せていては表現力が乏しいままなんですよ。そうなれば考察が進むわけもない。それ故に受け手のリテラシーも育たないし、逆にリテラシーのある人材は呆れ気味に離れて行くためにコンテンツが育たない。悪循環がもう見て取れるんですね。
逆に祐コーチみたいに優れたコンテンツがあるのにPRが足りなくて視聴回数が少ないものがあるのも少し可哀想ではあるが。。
インパクトとか、中国卓球の祐コーチの考察とかかなりいいと思うのだけれど。
それはさておき、私達現代人の情報の理解・運用能力が乏しいのは間違いないわけで。じゃあどう考えればいいかと、話題は最初に戻るわけです。
暇人しかすべて見ることはできないでしょうが、是非見てもらいたいのは上の山田玲二シリーズ。
アニメをクロニクルの中から考察する、稀有な漫画家なんですが、まどマギ、エヴァ、君の名は、けものフレンズ等最近話題になったものをあらかた考察しているんですが、まあすごい。
何がスゴイかって、昭和から現代にいたるまでの時代の変遷をその時代ごとにあった政治・経済的なイベントと絡めて解説するんです。その時代に生きる精神面の傾向とかその時代に生きていないとわからないものですが、この人の動画シリーズを見るとその時代がよくわかる。そしてアニメの見方まで教えてくれる、もうNHK向けの番組なんですね。
ある程度飛ばし飛ばしでみても、玲二先生があまりに博識で何事にも考察しているのは伝わってくるでしょう。
彼はこうした時代考察を元に考えることを「クロニクルを用いた考え方」と言う
このクロニクルとは年代記という意味を持ち、簡単に言えば世界史、日本史、自分史みたいなもの。
人間の発達段階でも幼児期、思春期、青年期みたいにあるけれど、それらを克服していくにも自分史を理解し、自分の生きてきた時代のターニングポイントを理解することが重要になってくる。
ここまで書くと気付かれる読者さんがいるかもしれませんが、これまで私がこのブログでやってきたことそのままなんです。
「あまりにダメダメな後輩達を前にして、なぜダメなのか考える時に、その子達の生い立ちから探っていき、その子達のクロニクルを私だけが作って知ることが重要だった」とか、「私のこれまでの人生を振り返って今の理屈っぽい思考方法は、小学校の時に出会ったバナブル先生によるものだった」みたいな記事もかつて書いたかと思います。
これを言いかえれば、後輩達はクロニクルを描くことが出来なかった、書いたことが無かったんです。
だから私に思いもしないことを言われて気味悪がった、と。
そして、こうした考え方が出来るのがスゴイのでは決してありません。
クロニクル的な考え方は医学部の勉強の本質だったし、現代に生きる人間がしなければいけないことだと
症例レポートを書くにしても時系列が最も重要だったし、患者さんの心理を知るためにも昔話を聞くことがとても重要でした。
高齢者相手ならば、その人の人となりが10年、20年のスパンでどういった仕事ぶりをしていたかを聞けばわかるし、営業系なら飲み会が多くて肝機能が悪そうだな、とか、時間不規則な職ならば血管系悪いのかな、とか、ストレスが多い職場ならタバコかなり吸っててCOPDとかあるのかな、とか、多くの生活習慣、多くの疾患の可能性が洗い出せたものです。
他人と関わる上でもその人のクロニクルを意識して接すると、見方が変わり、より深みが理解できます。
さて、まとめますと、落合陽一、玲二先生共に同じことを言っているのですよ。
時代を調べて、時代を考察して、自分の中で消化した後に、現代までつなげろ、と
これを知るとしろの氏の記事の意味がわかりますよね?
クロニクルを通じてのアウトプットを繰り返ししているから考察がブラッシュアップされるわけです。
加えて、氏のクロニクルがわかれば卓球観もわかり、どういう思想で考察しているかわかることでブログの読み方も変わってくることでしょう。
これだけ自分が分かっているから、面白いネタをかけるし、他人の主張もわかる。
さて、あなたは自分史を、自分で書くことができるでしょうか。
書けなそう、、、と思っていても、まずは自分の中で考えてみて、アウトプットしてみてください。
クロニクル的な考え方はアウトプットの経験こそが物をいうものです。
そうして自分の理解が自分の中で深まれば、その理解に用いた考え方が、卓球や他の理論、他人の心境を考えるうえでも必ず生きてくることでしょう。
加えて少し先の未来も予想できる可能性まであるのかも、と含みを持たせておきましょう。
さてここまで長々書いてきて、あえて書かなかったことがあります。
それは、「クロニクル的な考え方の方法」です。
ただこればっかりは下手に説明すると、説明した人のクロニクル的考え方の移植となり、根本的にその人が自身を振り返ることが出来ない可能性があります。
結局は自分の中で自分を振り返るためには、自分一人で自分と対話しなければなりません。
そうでなければ、自分が知りたい物事を自分一人で考え抜く力が育めないし、自分なりの情報の解釈も難しいものとなってしまいます。
ですので、何事も自分一人でまず考えてみること。
分からなかったら、より昔にまでさかのぼって調べて、何度も考えること。
大事なのは当たり前なことですね。
コメント
コメント一覧
拙ブログおよび私を過分にお褒めいただき、恐縮です。
バルサミコさんのおっしゃるような深い意図があった(のかな?)というより、最近比較文明学という学問があることを知り、それにインスパイアされて、個人の発達史を綴ることによって、他の人が自身の卓球発達史を反省する材料になるかもしれないという思いつきと、西洋絵画史の本をちょっと読んで、意外とおもしろいなと思ったのが執筆の動機でした。でも、バルサさんのおっしゃるように現在の自分だけを考えるのではなく、自分の形成過程も視野に入れながら現在の自分を省みると、現在の自分がよりよく分かるように思います。
勝手に引用し、批評するような形で記事にしてしまい申し訳ありませんでした。。
昨今ちょうど私も考察していたネタでしたので、ご紹介させて頂きました。
なるほど、そうした学問から着想されたのですね。明らかに違った視点からの語りだったのもあり新鮮味をもって読ませて頂きました。
しろのさん発信の元、自らの卓球を振り返るプレイヤーが増えてくれればこの上なく喜ばしいことかと思う次第です。