これまで抽象的な指導法を全て医学的・物理的に考察して一般化してきたが、必要な要素を抽出・一般化した後に、更に抽象的にすることの重要性に気付き始めた。
今回より連載式で。内容を分割して投稿します。
打たれないツッツキの考察から始め、あえて俗なイメージの「感覚」に準じてどうすれば身に付けることができるのかまで考える。

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事の発端は「打たれないツッツキ」を教えようとした際。

女子に教えていると初心者初めが多いのもあり、ツッツキはポヨンポヨンと浮くし、よく引き付けられない。
男子に教えていても多球練習では最高に強そうに見えるのに、いざ試合となるとレシーブが崩壊したり。

結局は臨機応変に対応する力が無い、その人の特性か、と考えてきたが、実際は違うのかもしれない。

というのも、技術の品質を考えていない、考え方を知らない。
持っている技術でボールコントロールする概念や方法に関する認識が乏しいのではないか。


勿論、理詰めで一度説明すれば何となくは理解して貰える。だがいくら実演しようと、あくまで見せられたショーケースのようなもの。自分が実際に使おうとする場面で、使いこなすイメージまでは実際にその場面に直面し試行錯誤してみないとわからない。

となればパターン別、ステップを踏むようににやってみればいいのでは?とも思えるが、そこまで簡単な話ではない。

ぶっちゃけ、パターン学習がしやすい勉強なら話が早い。
公式Aを覚えてその使い方を覚えるのを①
公式Aの本質を理解しないと解けない問題を②
公式Aと図形を組み合わせた問題を③
公式Aと公式Bと図形を組み合わせたのを④
公式Aと公式Bで求めたものから更に公式Cを重ねてそれを図に表すのを⑤
等というように、ステップを踏んで準備されたものを、準備されたように解いていけばおのずと使いこなせるようになる。

だが、卓球でそうした学習をしようとした際、その技術を使うべきベストなパターンからその派生形まで経験できるように、十分にボールコントロールをし、イメージを作り上げることができる相手と打ちこまなければいけない。

結局は部内で教える立場にあり、経験、知識、技術がある私がつきっきりで教えねばならず、全体にそれを浸透させることは困難となる。

逆に私が現在の部活で上達することをあきらめたのも同様の理由で、想定局面で練習しようにも想定局面を作り出せる選手がいない。
あからさまに格下の内容の卓球しかできず、数年前の上達できる環境とは違う。

知り合いの三段選手と打つと毎度のこと「ああ、この人と毎日打てればお互いに上達し続けることができる。多分肉体的限界が見えるまではどこまでも」とは思うが、それもそのはず、練習中に目的を話さなくとも必要な局面がお互いに準備できるから。

こうした練習相手のレベルで求めるボールの質、打法設定なんかが大きく変わり、ブラッシュアップできるか否かも変わってくるが、環境に最も影響を受けるのは技術の「質の幅」と「質の定義」であるのは言うまでもない。
知ろうととしなくても知る機会が無ければ広がることの無い世界である。

今回のテーマであるツッツキにおいて、相手に打たれない三拍子は
「思いっきり切る、深く送る、打点を速く」
であろう。
目標としては非常にわかりやすいし、確かにされたくない。そして、誰もがそうしたツッツキを目指すし、上手い選手もそうしたツッツキを多用する。だがこれって全てボールを飛ばす技術で、攻撃的趣旨のツッツキである。

深くて慣れていないならば処理ミスが多発するが、実際は打たれる可能性があるボール。
理不尽にぶち切れているならば流石に打てず話は別だが、そうした球質の明らかな差で点数が取れないなんてのは、選手間の明らかなレベル差がある時に限るといっていい。
そりゃ初心者が上級者のツッツキを打てるわけが無いし、馬龍のツッツキを我々が持ち上げることができるかといったら無理だろう。

だが、そこまでの球質差が生じないレベル差において、いくら切って深くて早くてを追求しても、共に長いツッツキが来るのが当たり前の環境下であるならば、打てないこともない。
むしろそればかり狙ってしまえばただのチャンスボールと成りうるのである。

つまりは、ツッツキは「思いっきり切る、深く送る、打点を速く」が完璧な条件ではない。
結局は仕掛けの為のツッツキとして成立する条件が明確にある。


ここで一度立ち止まって考えてみよう。
確かに、仕掛けの為に、打たれないようにするためのツッツキは「長くて、切れていて、深い」である。
だが、果たして全ての打たれないツッツキは、この特徴を満たしているのだろうか。

打たれない為のツッツキとして、実際にプロ選手が実践しているツッツキはどういう性質のものだろうか。


続く。